ルアンプラバン2日目は主要なお寺巡りと町の散策を予定していたが、思ったよりも早く終わりそうだということで車で30分ほどの郊外にある「クアンシーの滝」に行くことにしてみた。
午前中に見たお寺の数々は、東南アジア一帯にある仏教様式で建てられており、ここでは「ルアンパバーン様式」と呼ばれているらしい。
ルアンプラバンの町の中には大小合わせて80を超える寺が建立され、その全てのハードな面があって世界遺産たる都市なのだろう。ソフト面で言えば、僕らは初めてラオスという国に来てここで生活する人々の顔を見たわけだが、なんとも笑顔が素敵な民族なんだな、という印象が強い。それこそが世界遺産の裏の部分というか、守っていきたい民族性なのかも知れない。
タイを「微笑みの国」と称える人がいるが、僕はラオスこそが「微笑みの国」だと思う。


さて、そんなわけで午前中はひとしきり寺巡りとルアンプラバンの町を散策し、途中でラオスのうどんなどを食べつつ。
ひと段落してゲストハウスに戻り、少し休憩してからミニバスでクアンシーの滝へ。
僕は個人的に町並みを見るのも好きだけれど、こういう田舎でしかできない自然の遊びも大好きだ。地元の子供たちに混ざってターザンロープでジャンプ。少しはしゃぎすぎて疲れた。


クアンシーの滝の帰り際、昔からの生活様式を維持している田舎の村に寄った。
そこでは小学生くらいの子供達が観光客を相手に民族衣装や織物、腕飾りなどを売り、母親たちは子供にそれを強要しているようにも見える。
一方で何も知らないではしゃぐまだ幼稚園児にも満たない子供達。
あんな子供達の顔で「50円だから買って~」と言われると、正直辛いところもある。が、別に必要なものでもないから買わないんだけど、なんか、こう、色々考えちゃうよね。


僕らは日本人として生まれ、日本で育ち、何不自由ない暮らしの中で育ってきた。
一方で、彼らはラオスという発展途上国で生まれ、育ち、外の世界を何も知らないまま、もしかしたらラオスという国がどこにあるのかも知らないまま、大人になっていくのかも知れない。(ラオスの都市部ではそんなことはないが、山奥の田舎限定での話。)
そんな生活の中に突如として現れる異星人のような欧米人たち。容姿は似ていても言葉が違う日本人や韓国人、中国人。たくさんのお金を持って自分達の生活圏に侵入する僕らを見て、彼ら子供達は何を思うのか。
日本人だから幸せ。欧米人だから幸せ。発展途上国に生まれたら不幸せ?
人それぞれ「幸せ」を感じる瞬間やその定義は様々だけれど、少なくとも生涯一生懸命働いても手に入れることの出来ない(かも知れない)お金を持ってやってくる僕らは、彼らから見たら妬みの対象なのか。幸せそうに見えるのか。
それとも、僕ら観光客が来ることによって潤う部分もあるということを割り切って、むしろもっと来てもらいたい対象であり、ウェルカム! という気持ちでいるのか。
そんなめんどくせぇーこと考えなくてもいいじゃん、とは思いつつも、彼らの立場、彼らの目線でこの現実を、この瞬間を考えてみると、「何か得られるかも」程度で考えてみてるだけ。
・・・・・。
一人旅でも二人旅でも、旅に出て移動時間に身体的やることがなくなると、頭脳的活動に集中することになる。で、妄想が始まって、目の前で起きている事象に対しての現時点での自分の考えをまとめてみたり。
と同時に、自分の将来、家族の未来、仕事のことなど、とにかく絶対に答えが出ないであろう内容を考えてみたりもする。
まあ頭の体操的には良いことだけれど、結局行き着く先は、「何とかなるか!」という抽象的で楽観的なところで丸く収まる。
まだまだ旅は長い。気楽にいきましょー。
P.S.
これからクアンシーの滝へ行く人へ参考までに。
ルアンプラバンに来たら、町歩きは半日で終えて必ず午後は滝に行くべし。行くときにはミニバスよりもその辺をウロウロしてるトゥクトゥク親父を捕まえて交渉したほうが安くなるはず。