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7月10日 エベレストベースキャンプからダムへ

ラサからネパール国境を越え、カトマンズまで行く旅の3日目。

前日、エベレスト玄関口から戻ってきたのが夜11時と遅く、そのため今朝は少し遅めの8時起床。

ほぼ全員が昨日の徒歩の影響もあって激しい頭痛に襲われ、僕自身は頭痛に寒気にと、まるで風邪を引いたかのような感覚で夜を過ごす。

が、一晩経ってみると若干症状は緩和され、さらにこの後、標高をどんどん下げていくに従ってその症状は消えていった。

 

僕らの滞在中には、この季節にしては運が良く、エベレストの頂上が雲に隠れて見えないということもなく、素晴らしい景色を何時間も眺めることができた。

山頂が雲に隠れたままだと、どうしても綺麗さが半減してしまう。その点僕らは本当にラッキーだったと思う。

あの山頂は標高で8000m。地球上で一番高い場所か。山登りが好きな人が目指すのもわかる気はするが、見るだけでいいや、と。(笑)

エベレストの絶景1エベレストの絶景2

 

エベレストを後にして、中国とネパールの国境の町ダムまで車を走らせる。

今日はどこか見所を観光するということもなく、ただひたすらにランクルは埃まみれになって高原を駆け抜けていった。

ランクルの窓から見える風景は、砂漠とも平原とも形容しがたいこの地域独特の雰囲気があり、ドラゴンボール的に表現するならここはナメック星なんじゃねーか、と。

電気もガスも水道も通ってないこの地域でも人は生活しており、遊牧民生活をしているらしい。

ここら一帯もいずれ中国政府の手が伸び、道路や列車が整備され、観光資源として中国に利用されるようになるんだろう。

チベット大平原1チベット大平原2

 

車は徐々に高度を下げていき、とうとう標高2000m付近にまで下りてきた。

景色は一気に緑を増し、渓谷を下っていく感じに。

が、ここで前のほうが渋滞。何事かと探ったところ、どうやら前方の道路工事のために1時間以上待たなければならないらしい。

ここまで順調だったドライブもここで一旦停止。車の中でトランプとかして過ごすものの、そこは中国軍人が仕切る工事現場。もちろん時間通りに事は進まず、小さい荷物だけ持って歩くことに。

歩いて先に行ってみると、なんと中国軍人たち、トランプで遊んでる。しかもこっちは長時間待たされているにも関わらず、彼らはのんきに飯を食べ、裸で水浴びをして、ヘラヘラ笑って過ごしてる。

日本では考えられない光景に、ただただ唖然とするばかり。

さらに工事現場とはいえ、車1台なら余裕で通れるスペースはあり、きちんと交通整理をすれば問題なく行き来できる状況にあって。

これはもう嫌がらせだねぇ、とガイドのジャムツーも腹立ててたみたいね。

ダム手前の渋滞

 

最後の最後まで中国の洗礼を受け、少々遅れて無事ダムに到着。

ダムは小高い丘の上にある町で、国境付近ということもあって中国の色とネパールの色が入り混じった不思議な雰囲気の町だった。

漢字表記が減り、サンスクリット語?ネパール語?の文字が増えてきた。

町を走るトラックの彩りもネパール一色になり、国境独特のアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出しつつ。

ホテルにチェックインして近所のレストランで飯を食べ、本日も終了。

明日はとうとうネパールとの国境を越えてカトマンズへ入る。

ダム シェルパホテルダム ホテル前にインド人が大量に

7月9日 エベレストベースキャンプより

ラサからネパール国境を越えカトマンズへの旅2日目。

今日はシガツェからエベレストベースキャンプ(通称:エベレストBC)に1泊するため、一気に標高を上げて5000m付近まで駆け上がる。

シガツェには寺院と城があるが、それも前日に外回りを一周したことで十分満足したためスルー。っていうか寺院に入るのに結構な金額がかかるため、節約したいというのが本音なんだけどね。

で、シガツェを朝9時前に出発した僕らは、途中休憩を挟みながら一気にエベレストベースキャンプへ。

エベレストBCまでの道のり1エベレストBCまでの道のり2

 

エベレストベースキャンプはその名前のとおり、中国側からエベレスト登頂を目指す人たちが集う基地のようなもの。

ここからエベレスト登山に必要なものを持ち、シェルパという荷物持ちのサポーターを抱え、さらに本人やガイドなどを含めて大きなチームでチャレンジするそうだ。

また、エベレストはネパール側からの呼称で、中国では看板にチョモランマと書くくらい呼称が異なるらしい。理由はわからないけど。

チョモランマチョモランマを歩く

 

エベレストBCには大小様々なテントが設置されていて、観光客が宿泊できる最低限の設備が用意されている。電気は通ってるが、火はヤクやヤギ・ヒツジの糞を燃料にしたストーブを使う。シャワーはないが、まあ1泊だし我慢しよう。

エベレストベースキャンプテント群エベレストベースキャンプテントの中

 

夏とはいえ、7時を回って太陽が沈みかけると辺りは一気に寒くなってきた。

テントで少々休憩した後、夕日を見つつエベレストの登山口まで行くことにして、寒さと頭痛をこらえてみんなで歩き出す。

ベースキャンプから登山口まではさらに2時間弱上へ行く必要があり、通常はシャトルバスがピストン運転しているんだけれど、僕らは夜8時くらいにスタートしたためバスがなくなっていた。

結局登山口に到着したのが9時を回っていたが、そこでタルチョに記念の文字を書き、縛り付ける。

世界の屋根から、「この旅が無事終わりますように。」と願いを込めて。

エベレストに記念を残すエベレストに記念を残す2

 

P.S.
お昼ご飯を食べた場所で前日のシガツェのホテルで一緒になった日本人の方々に会った。

彼らは何と、この超厳しいチベットの地に許可証を取らずに個人で入境したそうだ。とりあえずシガツェまでは問題なく来れたらしいが、この後はどうなることやら。

今後チベットに行く人には、絶対に許可証を取らずに行くなんて無謀なことはやめたほうが良い、とアドバイスしておきたい。中国語がペラペラなら別だけどね。

もし後で何かわかれば、追って報告してみたい。

7月8日 シガツェのチベタン

今日からネパール国境を越える3泊4日の旅が始まる。

っていうかこの日記はネパールに到着した後に書いてるんで、かなり適当な日記になることを勘弁して欲しい。^^;

この4日間はとにかく素敵な写真をたくさん撮ることができたし、一生の記念になる旅であった。

では早速、この4日間を振り返ってみたいと思う。

 

旅の仲間集合写真今回の旅は僕ら夫婦にH夫婦、ドライバーとガイドの計6名。

車はランクル(トヨタ4WDランドクルーザー)をチャーターしていて、助手席と後部座席3名を僕らが使い、ガイドは最後部の座席兼荷物置き場に座った。

担当してくれたガイドはジャムツーといって、根っからのチベタン。26歳。純粋なチベット仏教徒でなかなかのイケメンである。英語も達者だからコミュニケーションもバッチリだった。

ドライバーは英語は話せないがなかなかお茶目なおじさんで、やさしいキャラクターのナイスガイ。推定45歳くらいかな。

 

さて、そんな僕ら6名はまず最初の目的地「ヤムドク湖」へ。

ヤムドク湖に行く時点ですでに標高は4000mを越え、さらにヤムドク湖を上から望むポイントでは4410m。

展望スポットには大量の観光客がいて、すでにチベットは秘境でも何でもないことを証明するかのように中国人の言葉が飛び交う。

ヤムドク湖と書いてある石やヤク(牛の仲間)と一緒に写真を撮影したり、トイレを使うだけでも安くない金額を取るその根性は、驚きを通り越して賞賛にすら値する。

ヤムドク湖1ヤムドク湖2

 

ヤムドク湖をサササっとやり過ごし、次はギャンツェへ。

ギャンツェはチベット自治区の中でも大きな町のひとつで、そこにある寺院を見ようかとも思ったけど、結局4人全員の意見が一致して寺院は却下ってことでスルー。(笑)

ギャンツェの前には標高5000mを越える氷河を見たり、ギャンツェ周辺の菜の花畑で写真タイムなどなど。高地ということもあり、とにかく雲が近い!

チベット高原氷河ギャンツェ菜の花畑

 

その後には特に見るべきものもなく、全員ドライブの気持ち良さに爆睡をかましつつ、夕方4時頃にシガツェに到着。

宿はガイドのジャムツーが選んでてくれた何某ホテル。一人30元の4人ベッド部屋。

シガツェホテル

ホテルに一旦荷物を置いてシガツェの中心部を歩いてみると、そこには大量のチベタンが道に座り込み酒を酌み交わしていた。

あとで聞いた話では、今日はどうやら何かの祭りのあとらしく、町中の人たちが集まっていたということで。

とにかく汚い街並みと、赤黒い顔のチベタンたち。子供の服は汚れ、歩道も車道もゴミで溢れかえる。

ここに長くいたら絶対に病気になるな、と、そんな印象を強く受けてシガツェの町歩きも早々に引き上げ、飯を食べて就寝。

シガツェの人々1シガツェの人々2

 

P.S.
ヤクの乳からできるバターを材料にした、チベット独特のお茶「ヤクバターティー」。これがまたおいしくない。むしろマズいと表現したいほどなんだけど、これを美味しい!!と思える日がきたら、きっとあなたもチベタン仲間だ。

7月7日 ジョカン五体投地

チベットの中心都市、ラサにて観光客が見に行くべきスポットを網羅すると、タイトルのようになる。

僕らは昨日3つ制覇したので、ラサ2日目の本日は残りのスポットを見に行くことに。

 

ジョカンは中国語表記にすると「大昭寺」と書き、チベット仏教の中心地として仏教徒憧れの地だとか。巡礼地としても世界的に有名らしく、朝早くからジョカンの入り口では五体投地(トップ画像のような感じで体全体で地面にひれ伏す)をしている人たちを見ることができる。

ジョカン 入り口付近の五体投地をする人たちジョカン 正面より

 

僕は別に仏教徒でもなんでもないし、っていうか日本人の大多数は無宗教だと思うけど、大麦のお香に包まれた幻想的な雰囲気の中で五体投地の光景を見ると、何というか不思議な気分になる。信仰心の深さに、ただただ感服する。

こういう敬虔なチベタン(チベット人)仏教徒や、その僧侶達を支えるラサ市民の関係を見ていると、どうしても積極的にチベタン側から中国人民軍と衝突するような人たちではないと感じる。

314事件にしても、過去の歴史にしても、中国人が学ぶ歴史も、どれが事実なのか誰にもわからない。

 

朝9時頃にジョカンに行ったものの入場にかなり時間がかかるようだったので、先にセラ寺へ向かうことにした。

 

中国人民解放軍装甲車ところで、実は昨日はダライラマの73歳の誕生日だったそうだ。

その影響もあってか、ウイグル自治区ウルムチでは暴動が起こり、それはまた漢民族(中国)側の一方的な情報操作によって日本に伝えられているらしい。

事実はもっと根深く、日本では正しい情報を得ることさえ難しいということなのか。

ここラサではウルムチでの暴動の影響で超厳戒態勢が敷かれたようで、街中のいたるところで装甲車や武装軍人を見かけたが、市民は平然としている。迷彩軍服を着た集団が我がもの顔で闊歩する姿は、見ていて良い気分ではない。

中国国内の民族対立問題は、中国側が強制的に「中国に属しなさい!」と強要しているように見えてならないし、チベット民族やウイグル民族が漢民族(中国)側に何かを要求している様子はない。(民族を民族として認めてほしいという要求は当然ながらあるそうだけれども。)

ちなみに僕らについてくれているガイドも根っからのチベタンで、彼は中国人民軍のこの状況を見るにつけ、憤ると同時に嘆いていた。

 

話を戻して。

ジョカンの入場がだいぶ遅くなりそうだということで先にセラ寺へ向かった僕らは、セラ寺内部を周遊するも、実は心の中では

「もう、お寺おなかいっぱいなんだよね・・・」

的な気分でいっぱいだった。

セラ寺1セラ寺2

 

これは今後ラサに来る人に参考までに書いておくけども、

昨日ポタラ宮とノルブリンカ、デプン寺に行ってきたが、それらの寺院内にはダライラマをはじめチベットの成り立ちから現在までの仏教の歴史に関するものが当然多く、釈迦牟尼・仏像・守り神・歴代のダライラマの肖像やお墓をたくさん見た。

仏教徒であればものすごく満足するんだろうけれど、正直僕は初日にたくさん見たやつで十分満足であって、今日のセラ寺なんかは昨日の内容と全く同じに感じた。

たぶんヨーロッパなんかでも毎日同じような教会ばかり見てたら飽きるのと同じで、チベット仏教の中心地ラサならではの寺院がたくさんあるのはすごいけれど、観光客がそれら全てを一度に見る必要は必ずしもないんだな、と。

そんなふうに僕も嫁も感じてたから、結局セラ寺を終えた後にジョカンに戻ったけれど、ジョカンの中には入らず。っていうか、寺院の入場料が貧乏旅行者にはバカ高くて、入場料をケチったってのも理由なんだけど。^^;

 

そんなわけでセラ寺とジョカンの周辺を見た後、明日から始まる2泊3日のネパールボーダーへ向けたツアーのための買出しとかしてホステルへ。

洗濯とかネットとかして過ごし、結局今日も遅めの就寝。

7月8日、9日、10日とネットがつながらない場所にいるんで、次回の更新はネパールの首都カトマンズに到着してからになるかと思われます。

7月6日 ポタラ宮のライトアップ

7月5日からチベットのラサに滞在中。

2009年7月現在チベットには厳戒態勢が敷かれており、そう簡単に外国人旅行者が単独でチベット領域内に入ることが許されていない。

振り返るとその歴史は古く、ダライラマの輪廻転生によるチベット政権と、それに対して行動を起こす中国。

ダライラマはインドのダラムサラに亡命し、彼の地で亡命政府を維持している状態。

つい最近では、2008年3月14日に起こったチベット人僧侶たちのデモと、それを鎮圧するための暴挙に出た中国人民解放軍の影響を受け、多大なる被害を受けたラサ市内の人々。

それらの詳細はこのブログで書くこともないと思うんで、ネットで調べてもらえればわかると思う。

ちなみに中国ではそういう系のウェブサイトにはアクセス制限がかかる場合が多い。国を挙げての情報操作には参っちゃうね。

 

ポタラ宮1で、僕らはその厳しい環境下に置かれているチベットを通過してネパールに抜けるというツアーを成都で組み、共に世界一周してるH夫妻と4名で行動を共にしている。

ツアー中の過程では必ずチベットの入域許可証を保持していなければならず、さらにチベット観光局から認定されたガイドが行動を共にしなければならないという規制もある。

それだけ厳しいチベットながら、逆に考えてみると必要条件を全て満たしてしまえば非常に快適にチベットを経由してネパールのダムに抜けることが可能だ。

チベットのラサから始まり、ヤムドク湖~ギャンツェ~シガツェ~エベレストBC~ダム(ネパールとの国境)~コダリ~カトマンズというルートはバックパッカーに大人気で、僕らの先輩達も、また今後世界一周をする後輩達も使うルートであろう。

その詳細は、1日ごとに公開していきたいと思う。

 

ポタラ宮2昨日の遅く、H夫妻がチベットのホステルに到着して無事合流。

本日は朝からポタラ宮、ノルブリンカ、デプン寺と、これまたチベットラサの世界遺産三昧となった。

 

事前にチベットやダライラマについて勉強してきてなかったこともあり、ガイドの英語も専門用語が飛び交い、正直意味がわからないことが多々あった。

これからチベットに来るなら是非チベットの過去の歴史と現在の状態などをネットや書籍で一通り学んでから来ると、より一層楽しめるはず。

 

ってことで、朝一番はポタラ宮からスタート。

僕らの利用しているラサインターナショナルホステルからポタラ宮までは歩いて15分程度の場所にある。

ポタラ宮は1日の入場制限があり、また本殿に入ってから1時間で出てこなければならないというルールがあるそうだ。

そのため多少急ぎ足で階段を登り、白・赤・黄に彩られたポタラ宮を巡回して午前中終了。

ポタラ宮の内部は保存状態も良く、中国が観光業に力を入れていることが伺える。

ポタラ宮3ポタラ宮4

 

ポタラ宮を終えて昼前。そのまま次の世界遺産「ノルブリンカ」へ。

ノルブリンカは、ノルブが宝石、リンカが公園という意味らしく、歴代のダライラマの夏の別邸として使われていたらしい。

中国のオリンピックの際には、ノルブリンカの入り口からポタラ宮の広場まで聖火ランナーが走ったそうだ。

ノルブリンカは意外と広く、全てを見て回るのに結構歩いた。(汗)

ノルブリンカ1ノルブリンカ2

 

ノルブリンカを見た後にランチ。そしてデプン寺へタクシーで移動。

このツアーにはラサ市内の観光に関しては送迎バスのサービスとかがついてないから、自力で移動する必要がある。^^;

デプン寺は丘の上にあるゲルク派最大の寺院? 314事件が起こる前は、ここに7000人の僧侶がいたとかいないとか。現在は100名程度になってしまったらしい。(ガイドの説明曰くだけど、僕の認識不足だったらごめんなさい。)

デプン寺1デプン寺2

  

とにかく今日はラサで見るべきポイントのうち、半分以上を制覇したということで。

ホステルに戻ってきた後、飯を食べ、ポタラ宮のライトアップを見て、ネット。

意外に夜遅くまでネットしてて、このブログアップしてるのも夜中12時を回ったところ。

 ポタラ宮ライトアップ

ところで7月7日。七夕ですね。残念ながらチベットの夜は曇り空です。