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1月26日 チチカカ湖ウロス島

クスコからプーノへとやってきた。

プーノは標高4000mほどにある、チチカカ湖で有名な町だ。

チチカカ湖は、そこに残る先住民族の暮らしやチチカカ独自の風習などによって、文化遺産として認識されているようで、ペルーに来た観光客は必ずと言っていいほど訪れる場所らしい。

世界旅行を計画した当初はいまいち良く知らなかったけど、とにかくチチカカ湖がいい!ということで寄ってみた。

っていうか、たぶんペルーからボリビアのウユニ塩湖に向かう人たちは絶対に通る場所だと思う。

 

さて。

クスコからプーノはバスでだいたい8時間。

途中、ここ数日の大水害の影響で、いくつかの村が水没していた。下の写真はバスから見た水没した村。

水没の村1水没の村2

いわゆる「床上浸水」ってやつか。とにかく川が川になってないし、泥が家屋の周囲を埋め尽くしていた。怖いというか、なんじゃこりゃ!ってのが印象。

そんな村をいくつか通り過ぎ、標高4000mを越える山々を拝みつつ、バスがプーノに到着したのは10時間程度たった頃だった。

バスターミナルで客引きをしていたおばちゃんに連れられ、ロス・ウロスという歩き方にも掲載されている宿にチェックイン。

翌日のチチカカ湖1日ツアーに申し込んで、夜飯を食べて就寝。

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1月26日快晴。

朝6時半にピックアップされ、船乗り場へ向かう。

チチカカ湖の観光は相当に繁盛しているらしく、ペルー人を含めて外国人観光客が大挙して船に乗り込んでいた。

船は一路ウロス島へと向かう。

ウロス島は、浮き草で作られた正に「浮いている」島で、その草の集まりを水底と紐で固定させて生活の場としている。

この島は大小合わせて4000以上あるそうで、それぞれが家族単位で生活しているらしい。

子供達は小船をこいでプーノの学校まで毎日通い、大人たちは魚(湖に生息してるマスとか)を取ったり、編み物をしたり、民芸品を作ったりして過ごす。

観光客による現金収入も重要みたいで、積極的に売り込まれた。笑

そうそう、僕らが行った島の方たちは、歓迎の歌として「はとポッポ」も歌ってくれた。誰が教えたんだ!?

ウロス島1ウロス島2

ウロス島3ウロス島4

 

ウロス島を後にして、さらに船で1時間半進んだところにあるタキーレ島へと。

タキーレ島はチチカカ湖にある大きな島で、この島にも先住民族が住んでいて、今もその生活様式を保っているらしい。

島の内部にそれぞれの独立したコミュニティーがあり、それぞれ長がいる。

このあたりの歴史とか良くわからないけど、とにかく晴天で気持ち良い島での滞在だった。初めて食べたチチカカ湖のトゥルーチャ(マス、サーモンに近い)のグリルもうまかったし。

タキーレ島1タキーレ島2

タキーレ島3タキーレ島4

丸1日の観光となったチチカカ湖クルーズ。

1泊のツアーもあるみたいだけど、急ぎ足の旅行者なら日帰りツアーで十分楽しめるはず。

1月23日 マチュピチュワイナピチュ

1月24日午前3時。マチュピチュから戻ってきた。

世界一周史上、遺跡シリーズでは最高のマチュピチュ。そして最低のマチュピチュ。その両極端を、1月23日に体験することになろうとは・・・。

 

1月21日、ペルーのメジャーなバス会社が全部ストライキを実施していたため、残念ながらナスカを諦めてリマから一路クスコへと飛ぶことにした。(1人130米ドル程度)

飛行機到着後、すぐにタクシーでペンション八幡に向かい、荷物を置いて情報収集。

ペンション八幡にはリマで出会った多数の日本人に再会し、その中で翌日(1月22日)にマチュピチュへ行くという人6名(うち僕ら2名)を集めて計画を練る。

マチュピチュには大きく分けて2通りの行き方があり、コレクティーボ(乗り合いタクシー)と3時間の徒歩を組み合わせて安く行くパターンと、一気に電車で向かう高いパターンがある。

前者はコレクティーボ代が約1200円。一方電車は48米ドル。

安く行きたいから、というのではなくて、行きと帰りと同じ道はおもしろくないから、という理由で、行きをコレクティーボ+徒歩、帰りは電車という選択をした。前日にクスコ市内にある駅で帰りの列車のチケットを購入した。

これが2日後に最低の事態を招こうとは、そのとき誰も想像できなかったわけで・・・・・。

クスコの街並み1クスコの街並み2

クスコの街並み3クスコの子供達

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1月22日朝6時。雨がやさしく降る感じ。

宿泊した「ペンション八幡」がいつものように騒々しくなる。

ペンション八幡1ペンション八幡2

 

クスコの町を出発して、サンタマリア、サンタテレサという町を経由し、水力発電所に到着。ここは鉄道駅があって、線路沿いに歩くこと3時間でマチュピチュの麓の町、アグアス・カリエンテスに到着する。

ここまでの道のりは結構楽しいもので、複数のメンバーで行くとより楽しい。

アグアスへの道1アグアスへの道2

アグアスへの道3アグアスへの道4

アグアスへの道5アグアスへの道6

結局僕らは、朝6時半に出発して、17時に到着した。

途中には崖っぷちを走ったり、雄大な山々を拝める道路をまっすぐ突き進んだり。

電車とは全然違う景色を見れるので、これはこれで本当にお勧め。特にマチュピチュ後は疲れてしまうので、行きにこのルートを使うといい。

 

さて。

アグアス・カリエンテスに到着したら、早速その日の宿を探す。

僕らはいくつかの宿を実際に見てまわり、部屋を見て、お湯の状況を見て、オスタルミラドールというところに決定。ツインルームで40ソル(1200円)だったから悪くない金額。

チェックイン後、インフォ横のブースでマチュピチュ遺跡の入場券126ソル(約4000円)を購入して、マーケットで水とか果物とか買って明日に備えた。

アグアスの町にはレストランも宿もとにかくたくさんあるので、予約は全然必要ないし、食事にも事欠かない。

アグアスの町1アグアスの町2

アグアスの町3アグアスの町4

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1月23日午前4時。

最初に解説しておくと、マチュピチュにはその遺跡内部に「ワイナピチュ」という、さらに標高の高い場所に遺跡がある。

そのワイナピチュ、1日に登れる数が制限されていて、7時に200人、10時に200人の合計400人しか登ることができないわけ。

朝6時に開くマチュピチュに一番乗りするためには、通常は朝5時半から運行されているシャトルバス(往復14米ドル)で行く。

またはアグアス・カリエンテスから2時間くらいかけて登り、6時の開場に間に合わせる。

僕らはバスを選ばず、あえて山登りを選択。

正直な話、この山登りは相当きついし、体力がない人は絶対にやめたほうがいい。僕らは1時間40分くらいで登頂してマチュピチュの入り口に到着した。4時半にスタートして結局6時過ぎに到着という感じかな。

一方、バスの場合は雨季なら朝5時くらいにバス停に並び始めれば十分間に合うし、体力も使わないのでかなり楽。100人いたら90人はそっちを選ぶはず。

ただ、乾季(7月8月)には山登り派がめちゃくちゃ多くて、バスで行ったら400人に間に合わないという話なので、それぞれマチュピチュに行く時期によって違うんだって。

まあ、とにかく僕らは歩き、7時のワイナピチュ入場制限に間に合い、8時半にはワイナピチュの頂上に到着していた。

そして、そこで撮影した写真がこちら。僕らを含めて一緒にマチュピチュを楽しんだメンバーと共に。

ワイナピチュ

ワイナピチュ、たぶんマチュピチュのことを知っててもこの名前を知ってる人少ないと思う。

でも絶対に登ったほうがいいよ。マジで。すごい。ズバ抜けて雄大な眺め。世界一だと感じた。それくらいすごいんだ、直接自分であそこに立ってみると。

写真じゃ絶対に伝わらない感動って、やっぱりあるんだよね。まさにここがそんな感じ。

ワイナピチュ入場券ワイナピチュ山中

幻想的ワイナピチュワイナピチュ山頂

あのジャングルの奥地、山々が連なる山奥のさらに奥の山頂に、あんな遺跡が存在することは奇跡でしょう。

日本人に人気の観光地としてベスト3に入るだろうマチュピチュだけど、人工物(遺跡とか城とか)系の観光地なら、世界ナンバーワンだと思った。絶対に行きましょう。

以下、マチュピチュ遺跡内で撮影した数々。でも本当に写真だけじゃ伝わらない・・・。絶対に直接自分の目で見たほうがいいぞ。

マチュピチュ1マチュピチュ2

マチュピチュ3マチュピチュ4

マチュピチュ5マチュピチュ6

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それから、それから、それからどんどこしょー。

えーと、マチュピチュ終わりまして、バスで下りまして、アグアス村には夕方に戻って飯を食べ、さぁ帰るぞと、駅へ向かった僕ら6名。

そこから最低の展開が起こる。。。。。

電車の出発時刻になっても、入場を許してくれない係員。

メンバーの中で唯一スペイン語を話せる鶴君に諸々お願いして状況を把握。

どうやら、線路の一部分、たぶん橋が壊れた関係で、僕らが乗る予定の列車が夜10時まで出ないという。

おーまいがー!

その時点でまだ夕方5時。さらに5時間も待てというのか。この寒空の下。いや、結構マチュピチュって寒いんです、標高2500mあるし。

まあとにかく待とう、ということでトランプしたり、ただただ色々と話したりで。

9時くらいになって、そろそろか。と。

係員に話を聞くと、まだだ、待て。と。

夜10時。そろそろだろう。

いや、まだだ。と係員。

夜11時。もう我慢ならねーぞ。

「そこに並んでてくれ、あと30分くらいで電車が到着するはずだ。」と係員。

 

混乱の駅待合所夜12時前。ようやっと電車が駅構内に滑り込んできた。

一方取り残されている観光客、推定で400名くらいはいる。

みんな列車に乗りたいから、順番なんて何のその。とにかく乗るんだ乗るんだと押せ押せ状態の混乱が続く。

っていうか、あの状況を言葉にすることなんて絶対に無理だな、うん。

それだけ混乱と混沌と折り重なる旅行客。ガタイの大きな欧米人や、我の強い韓国人や中国人は我先にと押しのけ押しのけ電車に乗っていく。

そんな混乱状態を防ぎきれる乗務員はいるはずもなく、チケットも何も確認せずにとにかくガンガン乗る乗る。

結局乗ったのが、こんな状態。

ペルーレイル車内

一人48ドルも払って手に入れた列車のチケット。

何時間も待たされ、挙句にこんな状態の列車。

僕らは車両と車両の間にある踊り場的なところにギュウギュウに詰め込まれた状態で立ち続け、隣駅のオリャンタイタンボまでの1時間ちょっと、本当にもう人生でこんなことはないであろう緊張状態で過ごすこととなった。

これ書いてても思うんだけど、いや、本当にあの状況は凄まじかったんだよ。被災者って言葉が妙に似合う感じかな。

あとからマチュピチュに閉じ込められて救助を待ったって人もいたらしいし、僕らはまだ良かったのかな、なんてことも思ったけど、とにかくあのときは壮絶な戦いだった。

この旅でも1・2を争うほど素晴らしいマチュピチュに出会って、興奮しすぎて疲れて、電車は爆睡だよね~なんて話をしてたのが遠い過去。

結局、オリャンタイタンボからコレクティーボを使い、クスコのペンション八幡に到着したのは午前3時。

最高のマチュピチュ、でも最後の最後で被災したマチュピチュ。

こんな急降下は、たぶん今後もないだろうな・・・。

1月20日 リマのアルマス広場

メキシコシティ発のLAN航空便に乗り、ペルーへとやってきた。

南米はアルゼンチン、ブラジルと先に回ってきたから、今度はペルーを南下してチリへと抜ける1ヶ月。

ここには世界的にもメジャーな観光地が多々あって、僕らはこれからリマからナスカの地上絵、クスコとマチュピチュ遺跡、プーノとチチカカ湖、ボリビアに入って世界最大の塩湖ウユニ、そしてチリのサンチアゴからモアイのイースター島へと向かう。

これら全工程1ヶ月ほどの旅。

 

で、僕らはまずそのスタート地点となるリマへと到着。

リマのアルマス広場リマのアルマス広場2

リマの第一印象は、なんとなくポルトガルのリスボンに似ている、という感じ。特に中心街のラ・ウニオン通りを見るとリスボンのそれとかぶる。

僕らの宿泊した「宿沖縄」は、リマにある日本人宿の中でも1番安く、そして旧市街のアルマス広場から近いこともあって立地条件もバッチリ。町には警察官もたくさんいて治安は良かった。

新市街はオフィス街といったところで見所は特になく、やはり観光という意味でも安いという点でも、宿沖縄は一番のお勧めだ。

ラ・ウニオン通りアルマス広場からは、サンマルティン広場、中華街(ここにあるうどん屋はうまい!)、長距離バスターミナル、英語の通じる旅行会社、おいしいレストランなど、歩ける範囲に見るべきところ・旅行者に必要なものが集中してるので便利。

リマ観光はほどほどに、ここからペルー周遊をする人が多そうだ。

残念ながら僕らが到着した日の前後数日に渡ってバス会社のストライキが続き、結局ナスカに行くことを諦めて飛行機でクスコ入りすることになった点だけは悔しいけど、まあナスカの地上絵は別にそこまで・・・って感じだったので気落ちせず。

リマはさして見所が多いわけでもないので、2泊もすれば十分なところだと思う。

トップにはアルマス広場の夜景。下の写真は、昼間のアルマス広場とラ・ウニオン通り。

リマのおいしいうどん情報は嫁日記を参照ください。

下の写真は、リマで宿泊した宿沖縄の写真。アルマス広場から程近く非常に便利だった。お勧めでリマ宿沖縄の部屋リマ宿沖縄正面